巨人 背番号1の誕生。
王貞治ミュージアムの紹介をしている。今回は巨人入団編だ。
早実時代、選抜優勝投手として名を馳せた王貞治。小さい頃は力士や父親の仕事を継ぐ可能性もあった青年の次の舞台はプロ野球だった。1959年当時はドラフト制度がなく、スカウト陣での選手取り合いが行われていた。その戦いを制したのは巨人。背番号1で盛大に迎えられた。
「もらったのは栄光の背番号1。歓びと緊張に、僕の胸は震えた」。
前年に長嶋茂雄という大型ルーキーが入団した。2年連続の金の卵に球団内は盛り上がったに違いない。
実は左側には実物の契約書がある。書類のため、載せるのは控えるがあなたならどのくらいの価格を想像するだろうか。
実使用の用具の数々。年数が経ってもきれいに保存されている。背番号1は永久欠番になっているため、巨人の中で貴重な数字。どれもお宝だが、ユニフォームはじっくり見ておくことをオススメする。
巨人で有名な大砲といえばON砲(長嶋茂雄・王貞治)だ。この2人で放ったアベックホームランは106回を数える。これは第1位の記録だ。次点の記録は以下の通り。
山本浩二・衣笠祥雄(広島)・・・86回
野村克也・ケント・ハドリ(南海)・・・70回
秋山幸二・清原和博(西武)・・・62回
ほかのコンビと比べると2人の息がどれだけ合っていたのかがわかる。
ファンが楽しむ王貞治。巨人を特集した映画・当時の駄菓子屋を再現したコーナー。そして、756号ホームランの瞬間を待ち遠しにしている家庭の様子。
駄菓子屋コーナーでは王貞治が出演したCMを観ることができる。周りの装飾も面白く、カードや全球団の帽子が飾られている。当時を過ごした人にとって「懐かしい!」と思える場となるだろう。
家庭の様子の仕掛けには驚き。数秒ほど親子の会話が流れ、急にテレビがつく。世界記録となるホームランの映像を見ることができる。結果に大喜びする親子。王貞治がホームランを打つごとに本数が期待されていたことがわかる。今の時代、なかなか体験することができない歓び。近年、日本人選手で50本塁打を記録したのは2002年の松井秀喜のみ。久しぶりに和製大砲で50本見たいものだ。
入団直後はヤジりつづけられていたものの、放つホームラン1本1本に大きな期待があった打者。それが王貞治だ。