王貞治ベースボールミュージアム 自分を貫き引退

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記録よりも自身の力。この決断でプロ野球の1つの時代が終わった。

福岡・ヤクオフドームに隣接している王貞治ベースボールミュージアムを紹介している。歴史館と記録館に分かれているが、現在は歴史館をまわっている。

奥に進んでいくと節目のホームランを解説しているコーナーがある。

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王貞治といえば一本足打法。フォームに憧れ、のちに真似をしたり、モノにしてホームラン王を獲得した選手もいるほど。最初からその打法だったわけではない。入団から3年間はすり足打法。いわば普通の打ち方だ。高校時代に出会った荒川博と再会し、特訓に入ることになる。大きな期待の中、入団当初は26打席ノーヒットだった。しまいには「オー・オー・サンシンオー」とヤジられていたのだ。やっと出たプロ初ヒットがホームランというのはまさに職人技だ。

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756号ホームラン。ハンク・アーロンの記録を破ったときのもの。やっと記録という縛りから解放されて安堵の表情。ここから自分だけの記録が始まる。

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現役最後のホームラン。引退年でもホームラン30本という驚異の本数。

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国民栄誉賞第1号も王貞治。756本という世界新記録を打ち立てての受賞。最高のライバル・仲間であった長嶋茂雄も受賞したが、つい2年前になる。なぜ今になって!?という思いが当時あった。長嶋茂雄が受賞するなら監督をやめた1980年か2001年にすればよかったのではないだろうか。受賞のタイミングが難しい。

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1980年。王貞治引退。同時に長嶋茂雄も「男のけじめ」として監督をやめた。球界の象徴であったONが同時にいなくなることは1つの時代が終わったことを意味していた。

その後の巨人は監督に藤田元司。選手としては原辰徳が入団する。すぐに新時代がスタートする。ちなみに王貞治は助監督として指導者への道を歩み始めることになった。指導者になると背番号が変わることが一般的だが、初志貫徹。現役時代のままの背番号1。

気力や体力に自信をもって現役にこだわる選手もいるが、王貞治はそういうことはしなかった。もし、続けていたら900号ホームランも達成できたかもしれない。最初から最後まで「野球選手・王貞治のバッティング」を貫いた。この姿勢がファンに慕われた要因だったのかもしれない。

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