兄貴は再び蘇った。
日本ハムの陽岱鋼がチームの1番打者として活躍しているように彼の母国、台湾では兄の陽耀勳が夢を掴んだ。
台湾プロ野球復帰を果たした。ただし、投手ではなく、野手として。
写真:ソフトバンク時代の陽耀勳
(出典:Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%BD%E8%80%80%E5%8B%B2)
昨年、パイレーツを戦力外になった後、台湾に戻って社会人リーグで投げていた。しかし、イップスを発症し四死球の連発。1試合に9四死球と散々な結果を残した日もあったほど。
今年になってから完全復活を果たすため、外野手として試合に出ていた。元々、大学時代は野手として国際大会を経験しているだけに勘を取り戻すのには時間はかからなかった。
6月に行われたドラフト会議。志望届提出の報道がされると現地のファンからは『指名されるのは確実』『陽兄(陽耀勳のあだ名)が帰ってくるぞ!』と期待の声が飛び交っていた。
だが、フタを開けてみるとまさかの結末だった。4球団から全46人が指名されたが、その中には名前がなかったのだ。本人は意気消沈したことだろう。
その後、台湾プロ野球球団・義大ライノスが身体検査合格を条件としてテスト入団させることを決めた。8月31日が選手登録期限だったが、約1ヶ月で結果を出さなければ1軍の試合に出場することはできない。2軍で少ないチャンスをモノにするしかなかった。球団としては野手ではなく、投手としての復活を望んでいた。
ここでも残念なことが起こる。身体検査で不合格となってしまったのだ。左肩の損傷が見つかり、投手としての復帰は望めなくなったことで義大は契約しないことにした。
またプロ野球復帰の夢を閉ざされた陽耀勳。もうこのまま社会人でプレーするしかないのか―――
8月18日、転機が訪れる。Lamigoモンキースが陽耀勳を練習に参加させることを発表した。監督の洪一中は次のように語っている。
『球団から電話があって本人から練習に参加したいとの話があった。以前よりも打撃や守備は格段に良くなっているし、まずは練習での様子を見てみたい。』
一方の本人はというと
『良い機会を与えられた。まだプロ野球に復帰する夢は諦めていない。社会人チームでも打撃練習はしている。義大の検査を通過できなかったのは残念だが、今回のチャンスをモノにしたい。』
8月21日、さっそく2軍の試合に1番センターとして出場。結果は4打数2安打1三振と上々のスタートを切った。試合の様子を見た監督は能力を絶賛した。
『彼は本当に天才だ。打撃練習でもポンポンとスタンドインしているし、パワーもある。』
翌日の試合でも5打数2安打とマルチヒットを記録。今度はベースランニングの速さを褒める監督は愉快といいようがなく、ほぼ正式入団は確実な状況だった。
8月27日、合格が言い渡された。しかも二刀流としての契約が用意された。最初は野手としてのスタートとなるが後々、状態が良ければ投手として登板させる内容になっていた。プロ野球復帰が決定し、新たな背番号は23になった。
2軍戦では3試合に出場し、13打数6安打1本塁打 打率.462の成績を残した。
8月2日、1軍初昇格。この日はドラフト1位で指名された王柏融のデビュー戦でもあった。2番センターで出場し、4打数無安打1三振。試合は王柏融が4打数2安打1打点と活躍し、お立ち台にあがった。対照的な結果だったものの、陽耀勳は暗い表情をしていなかった。
試合後は次のように語っている。
『少し緊張したが、平常心で球を待つことができた。社会人チームでは指名打者だっただけに守備に就いたのは新鮮な気持ちだった。』
9月10日現在で6試合で20打数7安打1打点 打率.350の成績。まだ本塁打は出ていないが、夢を叶えた姿にファンも喜んでいるだろう。
次なる夢は投手としての復帰だ。先日発表されたプレミア12やアジア選手権のメンバーには選ばれていないが、17年WBCで陽岱鋼と共に侍ジャパンと戦う姿を見てみたいものだ。