もう、やめてほしい小久保監督批判。
現在、行われているプレミア12準決勝、アメリカ対メキシコはテレビで見る限りではガラガラだった。本来ならば自身も行く予定だったが、別件があり不可能になってしまった。悔しいのでテレビ観戦をしている。昨日は4万人の入場があったようだが、予想通りの展開だ。
時間があるときには昨日の試合についての記事を探していた。数多く目にしたのは小久保采配への批判や必死に敗因を探そうとする内容ばかり。正直、うんざりである。大谷翔平(日本ハム)が降板した時点で負けだとか、9回裏のイ・ヨンギュ(ハンファ)の死球がウソだというものもあった。何を言おうが、負けは負けなのだ。
投手継投に批判が集まっている。それ以前の問題でなぜ、監督を批判するのか。私たちは小久保裕紀監督に何を期待していたのか。全勝優勝なのか、それとも韓国に勝って、決勝で負けることだったのか。いいや、自身はファンがメディアコントロールされていたのだと思う。
前回の記事でも書いたようにあえて、敗因を考えるなら日本の油断や傲慢だ。日本主催であり、世界ランキング1位という現実。過去2回、WBCを制していることもあり世界的にもその実力は証明済だ。当時と監督や選手の面々が違うとはいえ、日本には「勝って当然。優勝しなければならない。」というプレッシャーが必ず存在する。
ミスをすればそれがことごとくクローズアップされ、批判の的になる。12日のドミニカ戦では筒香嘉智(DeNA)が落球をした。この試合は勝利したため、あまりおおごとにはならなかった。過去を振り返れば08年の北京五輪でのG.G佐藤の落球は相当のものだった。本人は「死にたい」と振り返ったほど精神的に辛い時期を過ごしていたことを告白している。
世界一を目指すことは代表チームとしてもちろんしてほしい。だが、いつも監督批判していてはいつまで経っても日本野球に未来はない。スポーツである以上、勝ち負けがあって当然なのだ。部活や大会に出場したことがある人ならそれがわかるはずだ。
「侍ジャパン、世界一へ」というテレビの煽りもよくない。そんなものはいらないのだ。国際大会である以上、フェアに戦えばよいのだ。その結果が優勝にしろ、そうではないにしろだ。負けても必死に敗因や戦犯探しなどしなくてもいい。疲れるだけだ。受け入れるべきなのは「負けた」という事実だけで十分だ。
今回の日韓戦での敗戦で首脳陣や選手以前に、私たちファンの意識改革が必要であることがひしひとと感じた。期待するのはよいが、しすぎないように注意だ。
もう、やめよう。小久保監督批判など。