ハチャメチャな親日家、チェン・グァンユウ。
12月25日(金)に台湾で開催される日台高校野球交流戦に先駆けて主催するMAZDAがトークショーを行った。そこに登場したのは陽岱鋼(日本ハム)とチェン・グァンユウ(千葉ロッテ)。自身の野球人生や日本での生活についての裏話を語った。
映像:MAZDAのトークショーに登場した陽岱鋼とチェン・グァンユウ
(出典:You tube https://www.youtube.com/watch?v=dfZfg6MT3Wc)
ここではチェン・グァンユウに注目したい。陽岱鋼とは違い、日本の高校野球を経験していない。よって彼の話のネタは11年の日本球界入り以降になる。
思い出せば始まりは横浜ベイスターズから。1軍初登板は14年7月16日の広島戦、2回1/3を投げて4失点と勝負付かずだった。当時のことを次のように振り返っていた。
「広島のホーム球場。ファンが多くて周りは赤一色。歓声も聞こえないほど頭は真っ白だったが、体を震えた」
4年目で初の1軍マウンド。前から投げる準備をしていたが、実際に立ってみると緊張して体が動かなかったという。
日本での生活の中で嬉しいことがあった。横浜在籍時には同じ台湾人選手の王溢正と鄭凱文がいた。選手食堂のメニューには母国名物の火鍋があったということもあって3人でおいしく食べていたそうだ。
この2人と火鍋の存在こそが幸せのひと時だったようだ。そのことを次のように証言している。
「日本の練習は台湾のものとまったく違う。4、5時間みっちり練習すれば疲れてバッタリする。休憩で部屋にいるときには2人が話相手になってくれてとても安心できた。食堂には火鍋もあってみんなで食べていた。とても幸せな時間だった」
慣れない海外生活は1人でも仲間がいるほうがとても心強い。これなら「チェン、チェン大丈夫」だろう。
シーズンを思い出してみるとチェン・グァンユウは日本語でヒーローインタビューを受けていた。なぜ、ここまで上手になったのだろうか。陽岱鋼は高校時代に必死になって勉強したと言う。その真相が今回のトークショーで明かされた。
勉強した理由は「日本で遊びたかったから」だ。ポカン、としてしまったがその通りだそうだ。日本に来た当初は日本語を学ぶことを重要視していなかった。通訳という存在もあり、野球に集中していればよかったと思っていたという。時を過ごすと共にその考えは変わった。
日本語を学び始めた当初は成績が悪く不調に陥っていた。その後、挨拶など簡単な会話ができるようになったとき、日本で遊びたいという気持ちになったという。この目標ができてからというもの成績は急激に向上した。
その話を聞いて陽岱鋼は笑ってコメントしていた。
「グァンユウは日本で遊ぶために毎日、日本語を勉強している。その理由が本当におかしいよ」
遊びたいという理由で始めた日本語学習。とても上達している。外国語を学ぶときはあまり堅苦しく目標を設定しないほうが意外と伸びるかもしれない。
チェン・グァンユウは心底、日本を愛してくれている様子だ。プレミア12のときにはチームメイトに日本語を教えるなど親日家だ。来季もチームの貴重な先発左腕として日台両国のファンを痺れさせてほしい。