【緊急来日】パク・チャンホが都内某所に登場。自らの野球人生を振り返る

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パイオニアから未来のパイオニアへ。

昨日29日、自身は都内某所で行われたあるスポーツセミナーを受講した。普段はあまりビジネスセミナーを受ける機会が少ないのだが、友人の紹介で赴くことになった。当ブログでこのことを書くのはアジアについての話題だからだ。

会場には約400人の受講者が集まった。ほとんどが仕事帰りのビジネスマン、もしくは学校帰りの学生。自身は比較的前の席で始まりを待つ。もちろん学ぶことが目的だったが、1人のゲストスピーカーの登場を楽しみにしていた。
それは韓国人初のメジャーリーガー、パク・チャンホ(元オリックス)だ。

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写真:プレミア12開幕戦時に始球式を行ったパク・チャンホ

彼はこの日のためにロサンゼルスから駆けつけたとのこと。毎年のように東京に来ているようで今年はこれが初だという。話した内容はパク・チャンホ自身のこれまでの野球人生や経験についてだった。

もちろん、話すのは韓国語。11年に1年間だけ日本にいたが、言葉はあまりできないようだった。司会者の紹介を受けて盛大な拍手で迎えられた。てっきり「アニョハセヨ」とあいさつするかと思えば急につたない日本語で話し始めた。

「ワタシハ・・・ニホンゴガデキナイノデ、カンコクゴカ、エイゴデハナシマス。イイデスカ?」

 ここでつい「できてるじゃないか」とツッコミを入れたくなった。実は6月29日がパク・チャンホの43回目の誕生日。同じく参加していた受講者から韓国語で祝福をされた後は通常営業のごとく、韓国語で話し始めた。我々、受講者は入場時に配布された同時翻訳機を使って話を理解する。

野球を始めたきっかけからはじまり、93年のアジア選手権、翌年のドジャース入団など順番に自身の野球人生を辿り、当時に考えたことや行動したことを丁寧に語っていた。
パク・チャンホがメジャー入りを果たした同時期に日本からやってきたのは野茂英雄だ。2人は15年にMLBから「パイオニア賞」を受賞した。野茂の存在は彼にとって精神的支えであり、目標だったようだ。一時は帰国も考えた時期に野茂の活躍を見て奮起したということもあった。

後に野茂通算123勝、パク・チャンホが124勝を挙げる。この1勝差が精神的に苦しめたという。記録は抜いたが、このままメジャーに残るべきか、それとも帰国するべきか。逆にアジア人一となったことで目標を失ってしまう。瞑想を通じて気持ちを整理した結果、メジャーを離れることを選択してオリックス入団へとつながっていく。

12年には母国・韓国に戻り、ハンファイーグルスに入団。本来ならば「海外球団との契約が満了した日から2年間は韓国でプレーできない」という規則があるが、特別措置が適用された。パイオニアの登板にファンは熱狂したが、結果は5勝10敗とあまり活躍できず1年で引退した。

現在は財団を作って野球少年達を支援している。奨学金でプレーができている子も数多く、中にはプロになった者もいるそうだ。今後も活動続いていく。

なぜ、パク・チャンホはパイオニアになれたのか。それは当時、大学を中退して入団した若者は良い意味で「何も知らなかった」ため挑戦することができたからだ。後からメジャーとマイナーの格差も経験した。最後に話していたのは次のようなことだ。

「つらいときはあなたが祝福されているときだ」

悪い環境・状況は成長するためのチャンスだと力強く語った。 現役晩年は負けが続いており、まさしく同じ状況だった。どのようにして改善していくか、どうすれば喜びをつくりだすことができるのかを考えるのが大事だという。これらはビジネス面にも通じる。

野球人・パク・チャンホを目の前にして本人から多くの経験を聞けたのはよい機会だった。次は個人的に取材できるように何か企画を考えてみたい。 

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