年数が経ってもその人気は絶大。
本日、釜山から帰国した。ソフトバンク三軍の3連戦は各13時から行われていていたため、試合終了後は時間があった。そのため国内南部で開催された韓国プロ野球を3試合観に行った。だが、ただ試合を観るだけではつまらない。
釜山といえば、ロッテジャイアンツがある。この球団はイ・デホ(現マリナーズ)の古巣であり、日本に来る前は主砲として活躍していたところだ。退団してから5年が経ち、人気は衰えたのだろうか。確かめる方法として彼のユニフォームを着ている人を探してみた。
彼がいなくなったことにより、既に関連商品の販売は中止されている。当時、彼が付けていた背番号は今と変わらず「10」だった。現在、この番号を背負っているのは昨年のプレミア12で三塁手として出場していたファン・ジェギュン。つまり、球団としてはイ・デホの復帰のことは考えておらず世代交代を進めているのだ。
それでもファンの心には今でも彼の存在が強く印象に残っているようだ。グッズは入手困難にはなったが、至るところでユニフォームを着ているファンを見かけた。
上の写真は初日の夜に観戦したNCダイノス対ロッテジャイアンツのときだ。会場は釜山と少し離れたマサンという場所。ビジターだが、代表のユニフォームで応援しに来たファンがいた。
上の2枚はロッテジャイアンツの本拠地、サジク球場での様子。見ているとファンにとっての背番号10はファン・ジェジュンよりもイ・デホのようだ。現在は10番を背負うファン・ジェジュンだが、元々は13番だったためそちらのものを着ている人が多かった。
また、球場前で何かを配っているスタッフもイ・デホだった。韓国を離れても日本やアメリカでの活躍はメディアを通じて手に入れることができる。そのおかげなのか、自身がソフトバンクホークスのユニフォームを着て歩いていると「イ・デホのいたチームだ」とファンから声をかけられたこともあった。
サジク球場にはロッテジャイアンツの歴史を学ぶことができるミュージアムが併設されており、彼の記念品が数多く展示されていた。34年の球団史を語る上で彼の存在は欠かせないのだ。自身が驚いたのは二軍のサンドン球場の最寄り駅にあったキンパブ(のり巻き)の店のおばちゃんも彼の存在を知っていたことだった。
今や韓国人野手はパク・ビョンホ(ツインズ)やカン・ジョンホ(パイレーツ)などメジャーで活躍する機会が増えた。イ・デホに限っては彼らとは違った魅力があり、韓国球界を離れて5年が経ってもファンから愛されているのだ。