野球の歴史に新たな1ページ。
当初、今日のブログを最後に韓国野球旅のレポートを終わらせようと思っていたのだが、ラオスから朗報が届いたため、1日延ばすことにした。
その朗報とはラオスで野球連盟が誕生したことだ。
東南アジアに位置するラオスで野球がある。なかなかその状況にピンっとくる人は少ないかもしれない。実のところ2014年頃から韓国プロ野球で初の三冠王に輝いたイ・マンス氏が中心となり普及活動が行われてきたのだ。
(写真:ラオス野球を支えるイ・マンス氏)
イ・マンス氏は現役時代、サムソンライオンズのレギュラー捕手としてプロ野球草々期を支えた人物。打力が武器で通算252本塁打を記録しており、選手時代に付けた背番号22は永久欠番になっている。
引退後は指導者の道に進み、シカゴ・ホワイトソックスでコーチ研修を受けて力をつけていった。当時、チームは世界一となったことでチャンピオンリングを手にしている。韓国ではSKワイバーンズでコーチ・監督を歴任するも不本意な結果に終わった。
そして監督を退いた2014年から本格的にラオスでの野球普及活動に力を入れることになる。きっかけは友人からの依頼だそうで、当初は夫婦で欧州旅行の計画をしていたものの、これをキャンセルしてラオスへ飛んだのだ。
そこからは地元企業への支援の依頼をはじめ、選手にはボールの握り方から教えなければならないために幾多の苦労をしたという。その苦労が実り、今年1月に3回目となるラオスでの野球
大会が開催された。
(写真:今年1月に開催された野球大会のお知らせ)
この大会では日本からも参加するチームがあり、関係者として糸数敬作氏(元日本ハム)の姿があった。なぜなら沖縄では「ラオス野球支援プロジェクト」という取組みが始まっており、活動の一環として参加していたのだ。
今年1月、野球大会終了後にはイ・マンス氏は「次はラオスに野球連盟をつくることが目標だ」と話していた。以前から現地の政府関係者と交渉を続けていたようで昨日7月3日には連盟設立セレモニーが行われた。
この式典にはイ・マンス氏をはじめ多くの関係者や選手達が集結。新たな歴史の一歩を祝った。次なる目標はアジア野球連盟やWBSCへの加入、そして国際大会の参加だろう。
まだ式典での関係者の言葉などの情報が得られていないため入手次第、紹介したい。当ブログはアジア野球の発展を応援し、情報発信するところだ。今後も継続してラオス野球の動向を追っていく。