歴史的なこと、続く。
1月14日の野球ニュースを眺めていて驚いた。なぜならインド人初の野球選手となったリンク・シンがWWEに転向という内容があったからだ。08年にパイレーツと契約してプロ生活を始めたが、メジャー昇格はならず、オーストラリアでもプレーしていた。それから全く野球に関しての情報はなかったが、正式にWWEのテストに合格したようだ。
映像:ミリオンダラー・アームについて話すリンク・シン
(出典:You tube https://www.youtube.com/watch?v=aN3i9mzrkSY)
インドのスポーツ、といえば真っ先にクリケットが思いつくだろう。競技が野球と似ていることもあってクリケットの投手を野球に転向させるという思いつきを実行に移した代理人のJ・Bバーンスタインはインドでスピードガンコンテスト「ミリオンダラー・アーム」を実施した。
この大会で上位に入ったリンク・シンとディネシュ・パテルの2人はアメリカに飛び、メジャーの奪三振王、ノーラン・ライアンを指導したトム・ハウスをインストラクターにつけて野球の教育を始めた。元々、クリケットからの転向を狙っていたが実際、インド人の彼らは陸上選手であった。その後、2人は複数球団に公開テストを行い、パイレーツとマイナー契約を結んだ。
シンは12年まで最高でも1Aまで昇格するものの、13年以降は故障もあってほぼプレーすることができなかった。最近の記録は一昨年、パイレーツのルーキーリーグで1試合で投げて1回無失点だった。
一方のパテルのプレー期間はわずかに2年で終わり、現在はインドに戻って野球の指導をしているという話を聞いている。シンは1Aだったが、パテルはルーキーリーグで終わっている。
今回、WWE転向が決まったシンは昨年にテストを受けていた。「この10年は野球と陸上を経験したからこそ今がある。まさか自分がWWEの世界に入るなんて思わなかったよ」と振り返っている。まったくトレーニング方法が違うが、新たな一歩を踏み出すことになった。
これで完全にインド人の現役プロ野球選手はいなくなった。しかし、インド現地では定期的に野球の大会が行われており第2のシンやパテルを目指して選手たちがプレーしている。彼らの後はマイナー契約を果たした選手はいないが、毎年のようにパイレーツのスカウトがインドを訪れている。
メジャーにインド市場がとられる前に日本にもインド人選手を呼び寄せられないものか。1人でも独立リーグ球団に加入させることができれば選手にとって新たな道しるべとなりうるが。