【選手紹介】来日目指す「パキスタンの菊池涼介」サイード・アミン・アフリディ

NO IMAGE

ゼロから出発した苦労人。

なかなかメディアでは報道されないが、世界中には野球というスポーツで生きている選手が何人もいる。WBSCが発表しているランキングは約75位までだが、その下にはまだまだ国があるのだ。その中で自身が出会った1人のパキスタン人選手を紹介したい。彼の名前はサイード・アミン・アフリディだ。

28233529_1561943523902141_685267657_n
写真:昨年12月のドバイカップに出場したアフリディ

ここからは便宜上、彼のことを「アフリディ」と表記することにする。アフリディは現在26歳。右打右打の内野手で本職は二塁だ。パワーはないが、俊足と小技、そして堅実な守備が武器の選手でまるで日本人のようだ。自身とは昨年12月にアラブ首長国連邦・ドバイで初めて会ったのだが、その以前に彼の兄弟に会っていたこともあり既に存在は知っていた。パキスタンでは選手を兼任しながら「FATAベースボール」というチームでコーチをしているという。

これまでの野球人生について聞いてみると苦労の連続で日本のように恵まれた環境ではない中で着実にステップしてきた。彼が野球を始めたのは07年。既にパキスタン国内では野球連盟の地道な活動により競技自体は存在していたものの、認知度があまりにも低かった。アフリディはすぐに国内大会の出場メンバーに選出されたが、彼の故郷は貧しいこともあって誰も野球をやっている人はいなかったという。そのために彼がプレーするときは必ずその場所を離れる必要があった。

練習相手は兄弟だけ。故郷では野球を知っている人は誰もいなかったために寂しく練習していた。アフリディが持っていたのはグラブ、ボール、バットの各1つずつ。このままでは自分が何をやっているのか周りに知らせることができないと思ったアフリディは家に帰ると近くに住んでいる少年を見つけてはキャッチボールができるようにグラブを集めたり、ボールの投げ方など基本を教えていった。

この地道な行動が評判になり野球に興味を持ち、実際に始める少年が増加していく。結果的には「FATAベースボール」が誕生し、国際大会があるごとに選手を何人も供給するパキスタン野球には欠かせない組織となった。16年に中国で行われたU12や昨年のU15アジア選手権ではチームの格となった選手達はこのFATA出身だ。アフリディもコーチとして後輩の指導を行っている。

選手としては代表として17年2月にパキスタンで行われた西アジアアカップに出場し、チームの準優勝に貢献。そして昨年12月にあったドバイでのインドでの国際試合「ドバイカップ」でプレーしている。ドバイでは「2番・二塁」でスタメン出場して安打も放っている。

今後の展望について聞くとすぐに「日本」という言葉が出てきた。「ぜひ日本に行ってプロ野球観戦をしたり、実際に日本人とプレーしてみたい。強さはもちろん、練習方法などパキスタンが見習うべきことは多いと思う。だから日本に行って勉強したいんだ」と話している。

最近ではYou tubeを利用しNPBの試合を観る機会を増やしているという。その中で絶賛していた選手は広島の菊池涼介だ。普段の華麗な守備はもちろんのこと、シュアは打撃は参考になるようで同じ二塁手として目標とする選手のようだ。自身は勝手にアフリディのことを「パキスタンの菊池涼介」と呼んでいる。

自らのプレーだけでなく26歳にして後輩の指導を行っているアフリディ。次のミッションは日本の野球技術をパキスタンに伝えることだ。彼は現在、来日準備中。まだその日程は確定していないが、4月から6月頃の来日を目指している。果たしてパキスタン野球の伝道師は日本に来てどのようなことを感じるのか。彼が来るときには取材する予定だ。

アジア野球カテゴリの最新記事