□永遠の野球人
数多くの野球選手にとって、考える必要があるのは引退後のキャリアだ。日本のプロ野球選手が引退するとコーチ転身や一般企業へ入社、または自ら事業を始めたりと多種多様だ。
これまで世界10の国と地域を野球旅で巡った中で多くの野球人と出会った。その中にはプロ経験者もおり、現役時代はもちろん、現在に至るまでのキャリアについても聞いた。今回はその中の1人、韓国プロ野球(通称:KBO)からイ・マンス(李萬洙)さんについて紹介する。
イ・マンスさんを一言で表すなら「韓国の野村克也」だろう。実際は「韓国のベーブ・ルース」と言われているのだが、現役時代は捕手として活躍し、なおかつ三冠王に輝いたとなれば「野村克也」の方がイメージしやすいのではないだろうか。
□選手から監督、競技普及へ
選手時代はサムソンライオンズ一筋で活躍し、16年間で通算252本塁打を放った。その後はシカゴホワイトソックスのコーチとなり、世界一を経験し、指導者としてのキャリアを積んだ。その後は韓国に戻り、SKワイバーンズの1、2軍監督も歴任した。
SK監督を退任後、友人を通じて東南アジアにあるラオスで野球普及活動を手伝ってほしいと依頼があり、2014年から本格的にこの活動を始めた。これまでの人脈を活かして道具収集や選手集め、環境整備など時間をかけて1つ1つの課題をクリアしていった。
2015年からはラオスを会場に韓国やその他の周辺国の選手を集めて野球大会を開催している。韓国やタイ、ベトナム、日本からも選手が集まり、野球を通じた国際交流とラオス人に対して競技認知度を高める目的がある。2020年は残念ながら中止になってしまったが、同大会は継続しており、昨年まで5年連続で行われていた。
2019年12月にはラオス初の野球場が完成。また、ほぼ同時期に現地の大学チームを中心にリーグ戦も始まった。このように普及活動を始めて約6年間でラオス人が野球をする環境を完璧に整えたと言ってもいいだろう。驚異的なスピードだ。

□次なるターゲットは…
筆者は2019年1月にラオスを訪問し、イ・マンスさんご本人に普及活動の道のりや想いを聞いた。それから約1年経った今でも印象的な言葉がある。それは…
「私は野球から多くの愛をもらいました。今度は自分がもらったものを多くの人にあげたいのです」
現在は自ら立ち上げた慈善団体「社団法人 ハルクファウンデーション」の理事長として韓国とラオスの野球発展に尽力している。同団体を設立したのも先述の言葉通りに野球からもらったものを周囲の人に還元したいというまさに有言実行の場所だ。
約6年間に及ぶラオスでの野球普及活動は次なるステージに突入した。ラオスの次はベトナムでの競技普及活動に乗り出した。既に現地の野球リーグを設立し、12月にはベトナム野球連盟の誕生する予定だ。
イ・マンスさんは今後もラオスやベトナム、ミャンマーやタイなど東南アジア一帯の野球発展のために活動を続けていく。ここまで書いてきたものの、男子だけではなく、女子野球も同時に成長させる。既にラオスはマレーシアと対戦したこともある。この勢いでベトナムにも女子チームができる日もそう遠くはない。