改革軍・色川冬馬GMがもたらす希望の光

改革軍・色川冬馬GMがもたらす希望の光

□現実とのギャップ

 「何かがおかしい….」と感じることがある。それはこの2ヶ月間、よく話題になるBCリーグの茨城アストロプラネッツ(以下:茨城AP)についてだ。そう感じているのは山根将大球団社長のこのツイートがきっかけだ。

 このツイートを見たとき「意見が出る前に」と「地元軽視」という2つの言葉に筆者は反応した。最近は色川冬馬GMの尽力によってメキシコのウインターリーグでプレーしているセサル・バルガス投手とダリエル・アルバレス外野手を獲得した。

 見ている側としてはメジャーリーグでもプレーし、今でもバリバリ活躍している選手が来日するとなれば注目するし、チームが変わる大きなきっかけになるのではないかと思い、ワクワクしている。しかし、前述の2つのワードを見ると茨城県では喜んでいる人ばかりではないという実態がある。

 2020年の茨城APの2020年シーズンは7勝49敗4分 勝率.125という成績で最下位に沈んだ。これまでの長峰昌司前GMや坂克彦前監督をはじめ、多くの選手が地元・茨城出身者が多くまさに「おらがチーム」だったが、この結果を受けてチームは首脳陣や選手を一新して再スタートを切った。

 まだ2021年シーズンは始まっていないものの、改革を続ける茨城APに対して期待と不安が入り混じっている人もいるのではないだろうか。特に「いきなりやってきて色々と変えようとする色川GMは一体、誰なんだ」と思う人もいるだろう。

 前置きが長くなってしまったが、今回は筆者からみた「色川冬馬GM」について書いていく。筆者から見て色川GMは1歳上の「先輩」ではあるものの、上下関係の壁を越えて、野球を通じて繋がった友人だ。

□希望を光を照らす人物

イラン代表監督時代の色川GM
(出典:You tube https://www.youtube.com/watch?v=2NQVjH5GRdo&t=146s)

 色川GMと筆者が初めて対面したのは2018年7月。共通の知人からの紹介で出会った。確かにこの時が「初対面」だったのだが、筆者には親近感があった。なぜなら出会う前から色川GMの動向を追っていたからだ。それは当時からさらに遡ること4年前、本人がイラン代表監督をしていた2014年のことだった。

 2014年は筆者が野球旅を始めた年であり、アジア野球の情報を集めようと躍起になり、アジア各国の野球連盟のHPを調べる日々を送っていた。そんな時、イラン野球連盟のページをみると日本人が指導に携わっていることを知る。それが色川冬馬という存在を認識したときだった。

 それからしばらくして侍ジャパンのHPでコラムを連載していたこともあって、その後のパキスタンや香港代表監督時代の動向を追うことができた。筆者が追いかけている間に色川GMの「アジア3ヶ国で代表監督を務めた」という経歴ができあがった。

 色川GMが代表監督を務めた3ヶ国はすべて過去最高成績を残している。結果は確かに凄いことだが、アジアで代表監督をすることは「結果を出すこと」が契約する上での絶対条件であるため、その任務を遂行したに過ぎない。だが、結果を出すために厳しい言動はするものの、選手を誰も置いていかない優しさも兼ね備えていた。

 ちょうど上の写真はイラン監督時代のもの。初めて現地入りした当時は監督就任が決まっていたはずが、実は別の候補もいて、関係者から非難を浴びたこともあったという。イラン各地で野球を教えているうちに正式に監督となった。

 イランではコネで代表選手が決まっていたことに加え、国際大会では16年でわずか1勝のみという「弱小チーム」だった。日本では小学生のうちから野球に触れる環境があり、プレーの基本やチームプレーを学ぶ機会があるが、イランにはその文化がなかった。

 この状況を変えようと色川GMはグラウンド内では選手の負け癖や意識改革をしようとイチから野球を教えた。毎日のようにミーティングを重ねて選手1人、1人と対話し長所を知り、どのようにチーム内で活かしていくかを考えた。同時に数多くの練習法を伝授した。それは代表監督を退いても、現地に野球文化を根付かせる意図があった。

 こうして色川GMが代表監督を退いてから約5年が経った2019年。筆者はかつて色川GMも関わった野球の国際大会「西アジアカップ」の取材のため、スリランカに向かった。そこには彼の「教え子」がいたのだ。

 出会ったイラン代表選手に色川GMの話を聞いてみると、選手たちから感謝の言葉が飛び交った。ある選手からは…

 「トーマがイランを離れて時間が経ったけど、今でも彼には感謝しているんだ。彼のおかげでこうして野球が続けられている。当時はやったことない練習ばかりで戸惑うことも多くて、トーマもグラウンド内ではとても厳しい監督だった。中には不満を言う選手もいたけれど、彼は選手全員、1人1人と全力で向かい合ってくれた。だから、自分たちも奮起して大会で結果を出すことができたんだ」

 この話を聞いて筆者がイメージしていた「色川冬馬監督」のイメージが崩れた。なぜなら代表監督は前述のように結果を出すために連盟から呼ばれるものであり、結果のためなら、周囲の人間を蹴落としてでも、成り上がる人物だと思っていたからだ。

 そのイメージは間違っていた。結果を出すことが前提ではあるが、当時の「色川監督」は限られた場所、時間の中で目の前の結果だけではなく、いかにして選手と向き合うか、選手の未来について考えていくかを大切にしていたのだと筆者は考えている。

 こうしたイラン監督時代の色川GMの状況は、まさに今の茨城APの状況に似ているのではないだろうか。茨城APでいえば、勝率.125の「弱小チーム」であり、戸惑う数多くの練習の部分が、一新された首脳陣と選手、積極的な外国人選手の補強と重なる。

□改革の第一歩

 茨城APは来季で3年目のシーズンを迎える。2020年はダントツの最下位という屈辱を味わったチームには失うものはない。首脳陣や選手、スタッフが一丸となった上を目指すだけだ。そのためには地域やファンからの応援が必要だ。

 首脳陣が一新された後、我々が受け取る情報は球団公式SNSやYou tube動画、メディアからの情報が多く、先日の球団単独トライアウト以外では直接的に地域やファンと対話する機会がない。(※新型コロナウィルスの影響もある)

 確かに2020年12月現在の情報のみでは、首脳陣を変えて好き勝手に球団カラーを変えていると言われてもおかしくはない。それは公の場で説明する機会がないからではないだろうか。なぜならSNSやメディアでは限られた文字数があり、意図することが正確に伝わる確率が低いからだ。

 色川GMの取り組みも、見ている側からすると良い印象がある。これまで培った経験や人脈をフル活用して茨城APというチームを世の中に宣伝し、多くの人に「自分事」にさせようとしているかが伝わる。「自分事」というのは言い換えれば「注目される」ということだ。

 筆者もそうだが、弱いチームを応援したくなる心理を持つ人もいる。だが、いつまでも「弱いまま」ではいけない。BCリーグのチームが武器とする「おらがチーム」を大切にしながらいかに地元以外の人に見てもらうかだ。

ちなみに筆者は青森出身で元々、茨城とは何も縁はない。しかし「野球があるから」「茨城APがあるから」「色川GMがいるから」という理由で最近は自分事として注目している。今後はより茨城に足を運ぶ機会が増えるだろう。

 現状では不安に思う人も多いかもしれない。これはチームが良い方向に変わる、改革するための序章だ。色川GMも積極的に動いており、すべて茨城APのために力を注いでくれる。冒頭の山根球団社長の言葉にあった「地元軽視」をしているかどうかは来季のチームの活動を見てから判断することだ。

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