□世界普及はアフリカがカギ
東京五輪が終わって約3ヶ月。野球・ソフトボール競技では日本がアメリカに勝利し、共に優勝を飾った。しかし、残念ながら次回の2024年予定のパリ五輪では同競技は行われない。最短での復活は2028年のロサンゼルス五輪となり、関係者は7年後の復活を目指していく。
野球競技の国際大会といえば、WBCやプレミア12がある。確かにこの2大会は各国のトップチームが出場し、高いレベルの試合を期待できる。だが、これらの大会はMLBとの関係や世界野球ソフトボール連盟(WBSC)のランキングが深く関わってくるため、出場できる国が限られてしまう。
野球は世界的にはマイナースポーツであり、また五輪競技として復活するためには野球が盛んな国々だけではなく、まだ野球文化が生まれていないところも含めて全世界に向けた普及活動が必要になる。五輪では競技の世界ランキングは関係なく、各大陸予選からすべての国と地域が参加できるため、門戸が広い。
全世界に向けた普及。この分野で考えると特にアフリカ地域で必要になってくる。日常生活において「アフリカ×野球」というイメージはなかなか湧かない。同地域では主にJICA青年海外協力隊が中心となって日本人が普及活動を行っている。日本のようなプロ野球は存在しないものの、大きな可能性を秘めている選手が眠っているといえるだろう。
□ゴジラがアフリカ襲来
「一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構(J-ABS)」という団体をご存じだろうか。
2019年12月に誕生し、野球ソフトボールの普及を通じて「人づくり」「架け橋」「競技振興」を目指す団体だ。代表理事の友成晋也氏はガーナをはじめ、タンザニアや南スーダンで競技普及を行った実績がある。他にも北海道ベースボールリーグの出合祐太氏がブルキナファソ、おかやま山陽高校野球部の堤尚彦監督がジンバブエなど多くの日本人がアフリカ大陸で競技を広めている。
11月30日、J-ABSが「アフリカ55甲子園プロジェクト」の発足を発表した。また、同プロジェクトのエグゼクティブ・ドリームパートナーとして巨人やニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏の就任も決まった。これはアフリカ大陸に「55」の国と地域があること、松井氏の背番号が「55」であることの共通点も興味深い。

松井氏の日米通算507本塁打の実績と優れた人間性は世界で称賛されている。J-ABSとが目指す野球・ソフトボールを通じた「人づくり」に向けてまさに理想的な人物だろう。この「アフリカ55甲子園プロジェクト」は日本の高校野球スタイルで青少年少女を育成する目的がある。そして、アフリカ各地で甲子園大会を開催することを目指している。
これまでに同地域で「甲子園」と名前が付く大会はタンザニアとガーナにあった。タンザニアでは来たる12月12日から9回目を迎える「タンザニア甲子園」が行われる。これまでは日本から審判員を呼び、本物の甲子園大会と同じ雰囲気で試合を行ってきた。普及のためには大会の継続が必要不可欠であり、実行されている。
□普及活動継続のために
松井氏も関わることになったアフリカ野球。本人は無償で支援するとのことだ。2019年3月には東京五輪予選がアフリカ各地で行われたが、経済的理由で大会辞退となった国々もある。今回の甲子園プロジェクトで各地でプレーする環境や目指す目標を明確に定めることができる。同時に定期的に国際大会の開催や参加ができるような財政面の整備も必要となるだろう。
お金のことを考えると普及活動を通じて莫大な収入を得ることは難しい。むしろ、大きなマイナスになる。なぜなら物資の確保や運送など莫大な費用がかかる。形になるまでは無償活動をする覚悟が必要だ。今後はJ-ABSが中心となって協力者や指導者の育成にも力を入れる。スポーツに関わり方の要素である「する」「みる」「ささえる」の3つも安定しそうだ。
今回、松井氏の応援もあってJ-ABSの存在が知られることになった。2019年に誕生はしていたものの、その認知度はほぼなかったに等しい。現時点では同団体も認知度が低い問題に直面している。まずはより、どのような活動をしているのか常に見せる、そして団体自体を応援する人を増やすことが大切だ。
J-ABSの認知からアフリカ大陸、そして野球・ソフトボールの発展へ。身内のみでの活動では拡がりに限界がある。多くの人を巻き込んで競技普及、そして東京五輪での復活に向けて共に歩んでいこう。今後の活動にぜひ注目してほしい。